かぴばらのつぶやき

カピバラが大好きなフランス語を学ぶ理工学部生。日々生活する中で思ったこと、感じたこと、考えたことをつらつらと書いていきます。

自信とカボチャのニョッキ

ついに研究補助の仕事が3か月ぶりに舞い降りてきた!

な、な、なんと今回はさすが英語科の業務補助という感じ、学術論文の翻訳!!

 

できるのか?このエセ帰国子女にでき得る仕事なのか?

 

結論から言うとできた。翻訳機万歳。翻訳機の精度上げる仕事してみたい。

 

翻訳機に助けられたわけだけれどもなんかちょっとニュアンスが違ったり、専門用語はちゃんと指定の通りに訳さなきゃいけなかったりと2本訳すだけで33時間もかかってしまった。

 

論文を読んでいて少し落ち込んだ点がある。

私の知らないうちに私は研究補助の仕事の採用に脱落していた事実を知った。というのも、研究で学生のライティングの評価をしたことが書かれているのだけれどもその補助を私とは別の研究補助者が手伝っていたのである。

思い返せば去年ライティングの評価の業務を頼まれたことがあった。だけど私の評価は論文では採用されなかった。

確かに私の今までの経験は評価の信憑性を落とすものではある。研究補助者ではあるけれども2年間しか海外経験はないし、それもかなり幼い頃。対してもう一人の採用された研究補助者は小・中学校と海外で奨学金を毎年とるほどの成績優秀者。どう考えても彼を採用した方が論文の信憑性は増す。

 

だけど悔し~ね

 

日本でずっと英語を勉強していたからって評価の信憑性は落ちるのだろうか。

ずっと海外にいたからと言って正確な評価ができるのだろうか(まあ彼は申し分のない頭脳の持ち主で実際私よりはるかに優秀であるのは確かだが、一般論としてね。)

 

今まで自分の経験を後悔したり引け目を感じたりしたことはなかった。

常に自信をもって「私には2年間の海外経験がある」「中学校はレベルが低いから高校受験をした」「高校でも成績上位に入っていた」「大学でも一応上位層にはいる」といえたわけ。

だけどこのたった20枚ほどの論文によって自信を少しなくしてしまった。

私の経験はそんなに誇れるものではないのではないだろうか。

 

元気を出しなさい、私。

人と比べてどうするの(こういう時にこういう言葉って役に立つ)。

 

自分で誇れるって思ってるんだったらそれでいいじゃない。

他人の経験が自分のよりも優れているからって気落ちすることはないのよ。

今までの選択を恥じることはない。

今までのことももちろん大事だけど、これからどうするかっていうのも同じように大事。

 

そうやって自分を慰められるのはあるエッセイを読んだからなんだよね。

やっぱりエッセイって好き。

エッセイに影響されがちな人生なんだわきっと。

だってそのエッセイの作者の影響でめったに料理をしない私が今度かぼちゃのニョッキを作ろうとしてるんだもの。

 

今まで料理をしてこなかったからと言って絶対にかぼちゃのニョッキが作れないというわけではないものね。