人生はどこでもドア
エッセイに影響されやすい私。
最初に読んだのは小川糸さんのエッセイだ。たしかぷかぷか天国だった気がする。
毎回表紙の絵も可愛くて全部集めたくなる。
小川糸さんは海外に”ちょい住み”をして執筆活動をしている。
小川糸さんの影響で私もこうやって短い文章を不定期に書くようになった。(いつか私が有名になってこれがエッセイ集として出版されたらおもしろいな)
そして今回新しい作家さんのエッセイに出会った。
稲垣えみ子さんの「人生はどこでもドア」というエッセイ。
なんと私が大学1年生の時に滞在したリヨンが舞台になってるんだから読まない選択肢はないよね!
彼女は勤めていた新聞社をやめ、フリーランスになってから3年、フランス語もできなければ英語もできない稲垣さんは単身、「生活」をするためにフランスのリヨンへ飛び立つ。
空港についてからのハプニングの連続やマルシェでの買い物の話は私も同じような体験をしたのもあってすごく読んでいて面白い。
でも彼女と私の違いは、彼女は「生活」をするためにリヨンにいること。同じカフェに何度も通い、現地の人と短いコミュニケーションをとる。一切観光情報を見ずにただただ生活を送る、彼女はそれを目的としていた。
対して私はとにかくフランス語を勉強するため。食材はコンビニ化スーパーでそろえて週末はどこかに旅行に行った。
もう一度リヨンに行けたなら私も行きつけのカフェを作りたい。私もコンビニやスーパーではなくて毎日マルシェに通って自分で食材を全部集めて料理したい。願わくば近所の人と顔見知りになりたい。
もう一度リヨンに行けたなら。
私には少しはフランス語が理解できるというアドバンテージがあるからきっと稲垣さんよりは簡単に「生活」ができるはず。
こんなふうに海外暮らしを夢見るのはやはり島国の人間の習性なのかしら。
明日歯医者に行こうとして家の玄関の扉を開いたら目の前にリヨンの景色が広がっていたらいいな。
どこでもドアのように。